小島晃の写真表現

2010.3.1
アート・コーディネーター 泉澤章介

 

 

小島晃の二回目となる本格的な個展である。

 

小島晃の作品は、写真素材をコンピュータ処理でモノクロームにし、塗り絵のように色を置いていく。素材のどこを抽出して彩色するのか。二枚あるいは三枚の写真のつながりや展開を、10秒という絶妙な刹那でその関係性と場面を紡いでゆくニュアンスの伝播なのである。これを小島は十秒綵画と命名し、時間軸を再構成した写真動画といっている。

 

写真動画は、映画やビデオのように、例えばフィギュアスケーターが演技をするように映像自体が動くのではなく、静止写真自体が動くのである。10秒という設定は、いわゆる一般的な「動画」ではないがゆえの絶妙のシークエンスなのである。十秒綵画といい写真動画といい実に言い得て妙である。

 

小島晃の作品鑑賞の極意を伝授しよう。

 

ただひたすら心を無にして、なにげなく鑑賞することである。真剣に鑑賞する必要はさらさらない。「そういえば、こんな風景あるよね」という感覚である。仕事の合間のちょっとしたコーヒーブレイクに、なんとなく鑑賞するのにベストチョイスの作品という感覚である。要するに、それほど幅広い世代に共感を呼ぶ、今日的な癒しの心象風景の遊びのひと時を提供してくれているのである。

 

小島晃自身、十秒綵画は21世紀の俳諧となり得るのかと言っている。

 

わたしは鑑賞者のみなさんに、「俳諧」ということばに惑わされないようにしてもらいたい。これらの展示作品は、あくまで特定の俳句を指していない。俳句に季語があるように、その作品の中に紡ぎこまれる一連の作品の中に表現される画像のイメージが春夏秋冬、すなわち季節感のイメージを喚起するものである。

 

小島晃の提示する10秒という時間の余韻やゆったりとしたアニメーション、展開される心象風景、作品の組み合わせによる構成。例えば色彩と色彩、パースとパース、映像と映像といったものの展開を心のままに楽しんでいただきたい。どこに「俳諧」があるのか。どんな俳句なのかを探し求める必要はないのである。

 

さらに、小島晃のブログの写真に注目すべき作品が多数ある。

 

これらは、十秒綵画とはまた趣きを異にするものである。小島晃がトウキョウ生まれの都会っ子であることを思わせる、都会空間の作品群である。

 

まさに、今日的自己表現のツールとしてもはやネット社会に一般化した携帯写真、BlogやUstream、Twitter、YouTubeといった新しい表現方法(情報発信ツール)が、美術表現の一手段として世界を席捲するのも時間の問題であろう。
今回、この展覧会場にある小島作品の小ピースを、鑑賞者が手に取り自由に選択し、組み合わせて鑑賞者自身の心境を表現する遊びのコーナーがある。組み合わせの試行錯誤やライブ感をUstreamによって生中継し、表参道のギャラリーにいる鑑賞者と、同じ時間を共有するネット上のUstream視聴者がコミュニケーションを図るという「こちら側とあちら側」を結ぶ実験的な新しいアート鑑賞を提案している。

 

小島晃は、この展覧会を契機にその尖端を拓く開拓者となるであろう。

 

2010年小島晃の芸術家としての存在意義は何であるのか、作品のもつテーマ性の探求は無論のことではあるが、人、作品、時間、その時々の人々の感想・意見を誘い、同じ時間帯に多元的に共有(存在)することが可能となった時代に、「アートを縦糸に人を横糸に紡いでいく」新しい何かを創りだす提案として、鑑賞者をどう巻き込んでいくのか、従来の展覧会では実現しえなかった今日的芸術表現にどう切り込んでいくのか。

 

映像プロデューサーとして第一線で活躍してきた小島晃の新世界におおいに期待したい。